教育方針
自主独立の精神、義務と責任の自覚、高い品位と豊かな情操とを具えた、心身共に健康で創造的な能力をもつ、逞しい人間の育成に努む。
概要
本校は1920(大正9)年、実業家・浅野總一郎翁によって創立された。当初はアメリカのゲイリー・システムという勤労主義を導入し、学内の一角に設けられた工場による科学技術教育と実用的な語学教育を特色としていた。戦後まもなく中高一貫体制を確立し、70年代から進学実績を飛躍的に伸ばし、現在では神奈川県有数の男子進学校として高い評価を得ている。広大な校地の半分が通称「銅像山」の森林という恵まれた自然環境と、充実した教育施設の中で、生徒たちは明るく自由な学園生活を送っている。毎日の教科の学習に、学校行事に、部活動に、積極的に取り組みながら、一人ひとりが持つ能力・適性を発見し、それを高め、深めていく姿勢を身につけるよう日々精進を重ねている。
沿革
大正 | 9年1月 | 浅野綜合中学校の設置が認可され、水崎基一が初代校長に就任する。 |
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12年3月 | 実習工場が建設され、工場実習を課外必修として綜合中学の歩みを進める。 | |
12年9月 | 関東大震災により校舎の大部分が倒壊する。 | |
昭和 | 13年7月 | 初代校長水崎基一の死去の後を受けて神名勉聰が第二代校長に就任する。 |
20年5月 | 空襲により木造校舎の全部を焼失する。 | |
23年3月 | 学制改革により浅野綜合中学校は浅野中学校、浅野高等学校として新制度に移行し、復興に努める。 | |
42年6月 | 神名勉聰が学園長に、浜野駿吉が第三代校長に就任する。 | |
45年1月 | 創立50周年を迎える。 | |
53年4月 | 浜野駿吉退任の後を受けて石山延雄が第四代校長に就任する。 | |
55年1月 | 創立60周年を迎える。 | |
62年3月 | 高校新校舎(現中学校舎)竣工。 | |
平成 | 2年1月 | 石山延雄退任の後を受けて山口敬三が第五代校長に就任する。 |
2年1月 | 創立70周年を迎える。 | |
6年9月 | 山口敬三退任の後を受けて石橋義史が第六代校長に就任する。 | |
7年7月 | 本館、中学・高校新校舎竣工(エレベーター・冷暖房完備)。 | |
12年1月 | 創立80周年を迎える。 | |
14年4月 | 石橋義史が学園長に、淡路雅夫が第七代校長に就任する。 | |
22年1月 | 創立90周年を迎える。 | |
22年4月 | 淡路雅夫退任の後を受けて阿部義広が第八代校長に就任する。 | |
26年4月 | 清話書林(図書館)竣工 | |
26年10月 | 打越アリーナ(体育館)竣工 | |
28年4月 | 阿部義広退任の後を受けて前田渉が第九代校長に就任する。 | |
28年8月 | 大グラウンド人工芝化。 | |
令和 | 2年1月 | 創立100周年を迎える。 |
2年3月 | 浅野学園創立100周年記念広場竣工。 | |
2年3月 | 浅野学園創立100周年記念リング竣工。 | |
2年4月 | 前田渉退任の後を受けて古梶裕之が第十代校長に就任する。 |